【アダムスミス】見えざる手により利己主義を肯定した意味は?

利己主義を指す指

イギリスの経済学者 アダムスミス

経済学部の人でなくても、高校の政治経済、世界史などで登場する機会があったイギリスの経済学者アダムスミス。アダムスミスは、経済学の父とも呼ばれ、経済学の起源を作った人と言われています。

経済学の役割について諸説ありますが、希少な資源(資本・設備・労働力・土地・人口・資源)をいかに効率よく使用するか、ということが大きなテーマであることに間違いないでしょう。

アダムスミスの神の見えざる手という言葉を聞いたことがある人は多いと思いますが、「神の見えざる手」という表現は彼の著書である「国富論」では登場しません。見えざる手(invisible hand )という表現がどのような文脈で使われたのか。

見えざる手が意味するものとは

まず人間は利己心を追及するものだということを前提として、見えざる手(invisible hand )の文脈を紹介しましょう。

彼が意図してもいなかった目的を、見えざる手に導かれて促進することになる。彼が意図しなかったことが、必ずしも社会にとって彼が意図した場合よりも悪いということはないのである。みずからの利益を追求することが往々にして、社会の利益を本当に意図して促進しようとした場合よりもいっそう効果的であることが多い

アダムスミス「国富論」より

つまり、アダムスミスは個人の利己心が社会に効率に資源を分配することになると説明しているのです。このアダムスミスはの見えざる手の考え方は多くの経済学者に影響を与えました

その結果、人々の利己心の追及を最大限尊重するために、小さな政府、レッセフェール(自由放任主義)などの考え方が生まれました。

利己主義の意味

利己主義とは、人が自分に最大の利益をもたらす行動を推奨する考え方、すなわち利己心(self-interest)の肯定です。

利己主義の対義語としては、他利主義が挙げられるが、慈愛心という伝統来な社会的利益の関心が社会的な善を促進するとしてそのような行動を推奨する考え方です。

アダムスミスが示した利己主義

アダムスミスが示した、利己主義を示す有名な「肉屋、パン屋」の文書を紹介します。

私たちが日々食事を摂っているのは、肉屋や酒屋やパン屋の慈愛心によってではなく、彼ら自身の利害に対する彼らの関心によるものである。私たちが呼びかけるのは、彼らの人間性に対してではなく、彼らの自己愛に対してであり、和足たち自身の必要について彼らに語りかけているのではんく、彼らの利益について語りかけているのである。同胞である市民の慈愛心に主としてすがろうとする者は、乞食以外には誰もいない。

ここで先ほどの文章をよくもう一度紹介すると、

みずからの利益を追求することが往々にして、社会の利益を本当に意図して促進しようとした場合よりもいっそう効果的であることが多い

経済の場面で、慈愛心が作動するためには財・サービスは無償で提供されなければならない。アダムスミスは、肉屋やパン屋の利己心に呼びかけるのは、財と貨幣を交換することであり、経済においてそこに作用しているのは慈愛心ではなく、利己心であると説明します。

その上で、利己心が慈愛心を促進するよもりも、社会の利益を促進するとしている、というのは利己主義の考えを推奨しています。

利己主義の問題点

人々が自分の利益を追及することばかりした場合、果たして社会に善は訪れるのでしょうか。利己主義の行き過ぎた徹底は、社会に悪を呼び込むことが歴史がすすむにつれて分かってきました。

1、公害

利己主義を徹底した経済社会において問題点として、公害が一番最初に挙げられるでしょう。産業革命を通じて、製造業が経済を支える大きな産業となりました。それまでの貿易業と異なり、地球には本来存在しない、科学物質を使い、環境に配慮しないでビジネスを続けました。

これは、公害を引き起こした会社だけの問題ではなく、利己心の追及(利己主義)を許容している社会にも問題がありました。個人が利己心を追求すれば、需要と供給による見えざる手によって社会的な善が達成されると社会が信じていたいのかもしれません。

2、ブラック企業の台頭

産業革命以降、企業が労働者を酷使する事例が多数出てきて、社会問題と発展しました。利己主義を徹底した結果、生産性の低い会社は経済社会から取り残されてしまう。そのため、企業は労働者を酷使して、経済社会に生き残るために必死になっています。

ブラック企業というのは、ここ10年くらいの言葉ですが、そもそもブラック企業と同じような現象は150年以上前から世界的に問題となっている現象です。企業が労働者から搾取するという構図は、昔から変わっていません。

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アダムスミスが推奨した利己主義の現代的な意味とは?

現代の経済においても、人間の利己心を促進することで経済は発展するという利己主義の考え方は多くの場面で支持されています。近年でも、会社のストックオプションや持ち株会などの自己利益を刺激するような制度は沢山生まれています。

アダムスミスの利己主義という考え方は、現代社会でも問題はあるとしても、影響を及ぼし続けています。

ただし、アダムスミスの考えを理解する上で忘れてはいけないことがあります。

アダムスミスの見えざる手の考えを示した国富論が出版されたのは1776年であり、蒸気機関車が特許を取れたのは1769年であり、産業革命は一般的に1780年頃とされていて、アダムスミスが国富論で利己主義を提唱したのは大規模な工場はもちろん、今みたいな大規模な製造業もなかった時代であり、インターネット産業もないということを忘れてはいけないということです。

つまり、アダムスミスの考えは、現代のような経済社会を想定していないということです。アダムスミスの人間の心理的動機に着目した洞察力は素晴らしいですが、それ以外については必ずしも現在の経済社会でそのまま流用できる考え方でないといえるでしょう。

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